日本軍が去って62年後の西南東マルク県セラル島Selaru Islands MTB Maluku Indones
2007年8月14日、終戦記念日の前日、マルク州西南東マルク<wbr>県のセラル島のレミャン海岸に立った。
ここは、日本軍が連合軍と<wbr>対峙した、正真正銘、最前線だった。南の方角にはオーストラリア<wbr>の
ダーウィンが位置する。レミャン海岸に夜間上陸した日本部隊は<wbr>、陸路、東海岸に面するリンガット村に
進駐した。リンガット村で<wbr>、戦後が訪れていないことを実感した。陸地、海岸、そして海中に<wbr>
投棄された多量の弾薬と兵器。「村は破壊され、連合軍の爆撃で約<wbr>200名の村人が死亡した。そして村の
およそ50名の若い女性が<wbr>慰安婦として強制的に性の奴隷となった」と、現村長のユスフ・サ<wbr>ンボヌさん。
ユスフ村長が言う。「私たちに戦後は未だ来ていない<wbr>。戦後賠償ができないことは分かっている。しかし、
日本軍の最前<wbr>線として、強制的に協力させられた村のことを少しでも思い出して<wbr>欲しい」。
【参照】マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
戦争の記憶 東部インドネシアで聞いた日本の歌 Lagu Dai Nippon
di Indonesia
戦争の記憶 東部インドネシアで聞いた日本の歌 Lagu Dai Nippon di Indonesia 戦後65年。半世紀以上も前に終わった
太平洋戦争、第二次世界大<wbr>戦、大東亜戦争。今では戦争の傷跡もますます風化の一途にある。<wbr>戦争体験者の
数も年々激減の傾向にある。一方で、いまだにニュー<wbr>ギニア島、フィリピンなどに放置されたままの旧日本兵・
軍属らの<wbr>遺骸。東部インドネシア地域を旅して、各地で日本の歌を披露してくれる<wbr>人々に出会った。彼ら、
彼女らの心の中に、まるで血液のように流<wbr>れ続けている日本の歌。これを戦禍と言うのか、それとも戦果とで
<wbr>も言うか。SR(Sekolah Rakyat=国民学校)の教育が残した、太平洋戦争の歴史がそ<wbr>こにはあった。
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