詩, 漢詩函

朝聞道, 夕死可矣, 論語 里仁(ろんご りじん)

bsk5865 2013. 1. 16. 18:57

보낸사람 : 엔카 컴나라 운영자 13.01.16 09:12

 

朝聞道, 夕死可矣, 論語 里仁(ろんご りじん) |◈...자 유 게 시 판
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 論語里仁(ろんごりじん)

朝聞道, 夕死可矣,

 

TOWARDS HEAVEN

 

 

論語里仁(ろんごりじん)

朝聞道, 夕死可矣,

  

子曰く、朝(あした)に道(みち)を聞(き)かば、

夕(ゆうべ)に死(し)すとも可(か)なり。

  

先生(せんせい)のお言葉(ことば)

”人間(にんげん)は極力(きょくりょく)

人間らしく生(い)きる外(ほか)はないもので、

それに徹底(てってい)してはじめて心残り(こころのこり)がない。

  

そうすることによってわかってくる真理(しんり)が

仁(じん)の道(みち)である。

  

だから

ある朝 真(しん)に人間らしく生きる道がわかったとすれば、

仮(かり)に不孝(ふこう)にしてその夕方(ゆうがた)に死(し)んでも

その人の生涯(しょうがい)に心残りはないのだよ。と

 

そんなわけで、道すなわち真理(しんり)の体認(たいにん)とは、

人間にとって生き甲斐(かい)でもあれば死に甲斐でもある

  

道:道路(どうろ)、道程(どうてい)、

方法(ほうほう)等(など)の外(ほか)に、

道理(どうり)、真理(しんり)等を意味(いみ)する。

 

 そして論語(ろんご)では、仁(じん)が人の道で、

最高善(さいこうぜん)であるから、

道はしばしば仁を意味している場合(ばあい)がある。

 私見(しけん)は上掲(じょうけい)に解釈(かいしゃく)の通(とお)りで、この言葉(ことば)の発言(はつげん)の 時期(じき)と事情(じじょう)との如何(いかん)に関(かかわ)らず,孔子(こうし)の真理追究(しんりついきゅう)に徹(てっ)した心情(しんじょう)の 端的(たんてき)な吐露(とろ)であると思(おも)うが、

  

古注(こちゅう)は、

孔子が死(し)ぬまで道の行(おこ)なわれる世(よ)を

みないであろうことを嘆(なげ)いた言葉(ことば)だとし、

仁斎(じんさい)は、老衰(ろうすい)や病気(びょうき)に

ことよせて学(がく)にはげもうとしない者(もの)のために

激励(げきれい)したことば(ことば)と見ている。

  

論語 里仁(논어 이인)

朝聞道, 夕死可矣,(조문도, 석사가의)

 解釋

공자께서 말씀 하셨다. "아침에 道를 들어 깨달으면 저녁에 죽어더 좋다"

  解說

너무도 유명하고 잘 알려진 구절이다. 人間이 人間의 道理와 眞理를 모르고 산다면人間의 存在價値에서 볼때에 無意味한 생활이다. 단 하루를 사는 하루살이의 人生이 될지라도 遺憾 없이 깨끗하고 참된 人間의 道 ,즉 眞理 의 仁道를 깨닫고 한 瞬間이라도 그 참된 길을 밟는 다면 곧 죽어도 좋다는 것이다. 사람이 태어나서 醉生夢死하기 보다는 人間의 道를 알아야 됨을 절실히 느끼게 하는 名句이다. 이 한 句의 글로서도 孔子의 人品됨을 能히 짐작할 만하다.

  

註釋

"道 : 正道,仁道,眞理,人間의 道理, 누구나 지켜야 할 規準" 등.

"可矣 : 유감이 없다.

 

 旅笠道中 - 島津亞矢