仲よし小道-近藤けい子 作詞 三苫やすし 作曲 河村光陽
一 仲よし小道は どこの道 いつも学校へ みよちゃんと ランドセル背負(しょ)って 元気よく お歌をうたって 通う道
二 仲よし小道は うれしいな いつもとなりの みよちゃんが にこにこあそびに かけてくる なんなんなの花 匂(にお)う道
三 仲よし小道の 小川には とんとん板橋 かけてある 仲よくならんで 腰かけて お話するのよ たのしいな
四 仲よし小道の 日ぐれには 母さまお家(うち)で お呼びです さよならさよなら また明日(あした) お手手をふりふり さようなら
歌の背景 이 童謡는 1939年(昭和14年)에 童謡同人誌「ズブヌレ雀」에 揭載된 三苫(みとま) やすし의 詩에 河村光陽가 曲을 붙여 King records에 搬入한 노래로. 河村의 長女•順子의 노래로 録音되었습니다.
河村光陽는 1897年(明治30年) 8月 23日, 福岡県 田川郡 上野村(現福智町)에서 태어났습니다. 日本 支配하에 있던 朝鮮에서 音樂 敎師를 한 後, 上京하여 東京音楽学校(現 東京芸大音楽学部)에서 工夫하여, 이윽고 童謠作曲에 從事하게 됩니다.
「かもめの水兵さん」「うれしいひなまつり」「グッドバイ」「赤い帽子白い帽子」「りんごのひとりごと」 等 1000余曲을 作曲하여, 日本의 童謠史에 한 時代를 쌓아 올렸습니다.
1946年 12月 24日, 胃潰瘍으로 49歲의 젊은 나이에 死亡하였습니다. 曲이 47抜き(よなぬき)短音階로 만들어 저서인지, 日本人的인 心情에 順調로이 親熟해진 것 같습니다.
어린이들이 아무 걱정 없이 學校에 다니고, 밖에서 놀고 있을 무렵의 情景입니다. 이런 時代도 있었네요.
作成者 黃圭源 | |