歌の背景函

大忠臣藏-島津亜矢///忠臣蔵(ちゅうしんぐら)

bsk5865 2012. 8. 31. 08:31

보낸사람: 소담 엔카 운영자 12.08.31 06:14

 

大忠臣藏-島津亜矢///忠臣蔵(ちゅうしんぐら)(D)|★....엔카 게시판

黃圭源 |  http://cafe.daum.net/enkamom/KTiH/1487 


大忠臣藏-島津亜矢


大忠臣藏-島津亜矢

作詞 松井由利夫 作曲 村沢良介

“かぜさそふ はなよりもなほ われはまた“


ならぬ堪忍 耐えてこそ
武門の意地も 立瀬川
今はこれまで この一太刀を
吉良殿お受け 候えや
吾れ桜木の花と散る

セリフ
「殿中にての刃傷沙汰は
罪萬死に値すること この内匠頭
重々承知いたしております
さりながら積もる遺恨の数々・・・
浅野家五万三千石
所領も捨て家臣を捨てての
覚悟の所業でござる
梶川殿・・・武士の情けじゃ
この手を離しくだされ
今ひと太刀・・・ 今ひと太刀・・・

上野介を討たせてくだされ・・・
梶川殿」


忠に生きるは 武士の道
命を盾の 槍ぶすま
敵を欺く 言挙げならば
瑤泉院さま 許されよ
雪ふりしきる 南部坂


セリフ
「われら幡州赤穂の浪士
大石内蔵助以下
四十七名の者どもでござる
この言挙げは私怨に非ず
天下の御政道の
是非を正すためなり
おのおの方 かまえてその旨を
心にしかと刻まれい
忠左衛門どの・・・
吉良殿の所在は末だつかめぬか
源五・・・東の空も白んでくるわ
くまなく探せ
われらの命運はあと半刻ぞ・・・
天よ地よ神よ仏よ 慈悲あらば
われが本懐を遂げさせたまえ」

“吉良殿・・・見つかり申した・・・”


あれは山鹿の 陣太鼓
一打ち 二打ち 三流れ
一期一会は この世のならい
粒々辛苦 血の涙
暁染める 松阪町


忠臣蔵(ちゅうしんぐら)

忠臣蔵:堀部弥兵衛と堀部安兵衛 歌川国貞作

江戸時代 中期인 1701年3月 江戸城 안에서 칼부림 事件이 일어났습니다. 播磨赤穂(はりまあこう=지금의 兵庫県)의 藩主(はんしゅ)인 浅野長矩(あさのながのり)가 吉良義央(きらよしひさ)에게 느닷없이 칼을 들이댄 것이 었습니다. 吉良는 가벼운 傷處만 입었지만 當時의 将軍(しょうぐん)인 德川綱吉(とくがわつなよし)는 浅野에게 그 날 안으로 割腹(切腹)을 할 것과 浅野 家門의 代를 끊는다는 무거운 罰을 내렸습니다.

이 두 사람은 天皇의 使者를 接待하는 接待擔當官(浅野)과 指導官(吉良=きら)의 關係였습니다. 事件의 眞相은 確實히 밝혀지지 않았지만 浅野가 平素 吉良 에게 侮辱을 當해왔고,그로 因해 쌓인 怨恨이 瞬間的으로 暴發한 것이라는 說이 있습니다.

그러나,吉良의 部下들은 将軍이 내린 지나친 處罰을 가만히 참고 있을 수만은 없었습니다. 結局 1703年l月 浅野의 47名의 部下들이 江戸에 있는 吉良의 邸宅을 襲擊하여 吉良의 목을 치고,그로부터 두 달 後 47名은 모두 割腹했습니다.

自身들이 섬기던 主君의 怨讐를 갚고 割腹을 한 그들은 當時의 武家 社會에서 훌륭한 忠臣으로 稱頌되며 尊敬을 받았으며 이 事件은 오랜 歲月 동안 忠臣蔵(ちゅうしんぐら)라는 題目으로 小說을 비롯해 映畵 드라마 等의 人氣 素材로 사랑 받고 있습니다.

作成者 黃圭源