歌の背景函

お祭りマンボ-美空ひばり///今月の祭り「山あげ祭り」(

bsk5865 2013. 7. 8. 09:00

보낸사람 : 소담 엔카 운영자 13.07.08 06:44

 

お祭りマンボ-美空ひばり///今月の祭り「山あげ祭り」(D)|★....演歌 게시판

黃圭源 | http://cafe.daum.net/enkamom/KTiH/3721 


お祭りマンボ-美空ひばり


お祭りマンボ-美空ひばり

作詞 作曲 原 六朗 編曲 山屋淸


私のとなりのおじさんは
神田の生まれで チャキチャキ江戶っ子
お祭りさわぎが大好きで
ねじりはちまき そろいのゆかた
雨が降ろうが ヤリが降ろうが
朝から晩まで おみこしかついで
ワッショイワッショイ ワッショイワッショイ
景氣をつけろ 塩まいておくれ
ワッショイワッショイ ワッショイワッショイ
ソ-レ ソレソレ お祭りだ
おじさんおじさん 大変だ
どこかで半鐘が なっている
火事は近いよ スリバンだ
何をいっても ワッショイショイ
何をきいても ワッショイショイ
ワッショイ ワッショイ ワッショイ ワッショイ
ソ-レ ソレソレ お祭りだ


そのまた隣の おばさんは
淺草育ちで チョッピリ美人で
お祭りさわぎが 大好きで
意気な素足に しぼりのゆかた
雨が降ろうが ヤリが降ろうが
朝から晩まで おかぐら見物
ピ-ヒャラピ-ヒャラ テンツクテンツク
おかめと鬼が ハンニャとヒョットコが
ピ-ヒャラピ-ヒャラ テンツク テンツク
ソ-レ ソレソレ お祭りだ
おばさんおばさん 大変だ
おうちは留守だよ からっぽだ
こっそり空巢が ねらってる
何をいっても ピ-ヒャラヒャ
何をきいても テンツクツ
ピ-ヒャラピ-ヒャラ テンツクテンツク
ソ-レ ソレソレ お祭りだ

お祭りすんで 日が暮れて
つめたい風の 吹く夜は
家を焼かれた おじさんと
ヘソクリとられた おばさんの
ほんにせつない ためいきばかり
いくら 泣いても かえらない
いくら 泣いても あとの祭りよ


今月の祭り「山あげ祭り」

野外에서 열리는 멋진 演劇으로 有名한‘山あげ祭り’입니다.

栃木県의 東쪽 那須烏山市(なすからすやまし)에서 열리는 이 祭り는 八雲神社(やくもじんじゃ) 의 年例行事로 國家가 指定한 重要無形民族文化材 이기도 합니다. 올해는 7월 26~28日에 開催됩니다.


山あげ祭り

‘山あげ祭り’는 마을에 大規模 舞臺를 設置해 神에게 歌舞伎(かぶき: 日本 伝通劇) 公演을 바치는 祭り. 여기서‘山あげ’란 얇게 자른 대나무로 싼 틀에 日本 伝通종이를 붙여 만든 舞臺 背景인‘山(やま)’를 세우는 일을 말합니다. やま는 歌舞伎의 背景으로 使用되는데 約 100m에 걸쳐 벚나무나 丹楓,瀑布,山 等이 그려진 여러 種類의 やま가 늘어섭니다. やま의 높이는 最大 約 10m,幅은 7m에 達합니다.

約 450年 前에 からすやま에 病이 流行했는데 當時의 城主가 그 災難을 防止하기 爲한 目的으로 祭り를 열었고 이것이 山あげ祭り의 始初가 되었다고 합니다.

처음에는 祭り의 興을 돋우기 爲해 日本 伝通 씨름인 相撲(すもう)와 神楽獅子(かぐらしし:日本 固有의 舞樂) 等을 열었는데 17世紀 後半부터 춤인 踊り(おどり)를 선보이게 되었고 그 뒤 狂言(きょうげん: 日本 伝通 喜劇)歌舞伎가 導入되면서 江戸時代 末期(19世紀 後半)에는 지금처럼 野外에서 열리는 歌舞伎로 變形되었습니다. 엄청난 舞臺 裝置와 背景은 全国에서도 손에 꼽힐 程度입니다.

마지막 날 저녁에 열리는‘ブンヌキ(各 마을의 젊은이들이 피리,종,북을 演奏하며 優劣을 가리는 일)’ 때 祭り의 興이 最高潮에 達하는데 華麗하게 裝飾한 각 마을의 가마가 八雲神社 앞으로 한꺼번에 모여들어 興겹게 音樂을 演奏하고 가마 行列에 參與한 젊은이들은 큰 소리로 口號를 외치면서 各 마을의 演奏者들을 激勵해 會場 全體가 떠 들썩해집니다.

作成者 黃圭源