日語雜物函

いろはうた

bsk5865 2012. 2. 28. 09:02

보낸사람 : 소담엔카 운영자 12.02.28 06:59

 

いろはうた |⊙....일반 게시판
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いろはうた

以呂波の外形とその内容

 

左列は、歌謡としての意味を考えずに、

一つ一つの仮名を独立したものとして読む場合の形であり、

右列は、歌謡としての読み方である。

 

いろはにほへと、、、色は匂へど

 ちりぬるを、、、、ちりぬるを

わかよたれそ、、、、我が世誰ぞ

つねならむ、、、、常ならむ

うゐのおくやま、、、有為の奥山

  けふこえて、、、今日越えて

あさきゆめみし、、、浅き夢見じ

  ゑひもせす、、、酔ひもせず

 

要するに、以呂波というのは

”諸行無常、是生滅法、生滅滅寂滅為楽”という

”大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)”の

中にある”げ”の意味をとって、日本語でこのように表現したものだというのである。

 

”げ”とはサンスクリット語(語)の仏典の中にある

韻文のことで、漢訳仏典でも韻文の形式で翻訳されているものをいう。

 

上記の説明はかなりこじつけがましいが、

さりとて積極的にそれを否定するだけの根拠があるわけでもない。

  

ただし、こういう結び付けを前提として、さらにその上に論を立てることは危険なので、ひかえておいた方がよい。

 

ちょっと難しいのは、”うゐのおくやま”の”うゐ”である。

これには”有為”以外に引き当てようがない。

 

"有為”というのはサンスクリット語の翻訳で、

さまざまな因縁によって生じた現象をさす。

"有為転変は世のならい”という。その”有為”である。

 

そういう名を持つ特定の山があるわけではなく、

さまざまな因縁によって生じたこの世のきずなを

断ち切るのが容易でないことをたとえて、

”有為の奥山”と表現したものなのであろう。

 

とするならば、この歌謡には、

其の基調として仏教思想があると考えなければならない。

 

"色は匂へど散りぬるを”というのが、もっとも不通の解釈であるが、

なにが散るのかよくわからない。

 

紅葉という意味の"色葉”で考えれば、

その点でつじつまが合わせやすいし、

ほんとうにそれでよいかとなると、しりごみせざるをえない。

 

"浅き夢見じ”か"浅き夢みし”か、

即ち<見まい>なのか<見たことよ>なのかという類の議論を

してみても、哲学論争になるだけで、客観的には結論がつけにくい。

 

以下省略

*小松英雄著 ”いろはうた” 日本語史へのいざない から*