これから音頭-大泉逸郞 作詞 荒木良治 作曲 大泉逸郞
一 すぎて来たあと ふり向くよりも いまを楽しく 生きようよ ながい人生 落ちこぼれずに よくぞここまで 来れたもの まだまだ じんせい これからだ これから音頭で 健やかに スコヤカに
二 遊ぶことより 働くことに いのち燃やして きた世代 あとはまかせた 子供や孫に そして余生を のんびりと まだまだ じんせい これからだ これから音頭で 健やかに スコヤカに
三 歌を唄えば 気も若やいで みんな気持ちは 同い年 助けられたり 助けてみたり 話しあったり 和んだり まだまだ じんせい これからだ これから音頭で 健やかに スコヤカに
四 みんな仲良く 手をとりあって 行こうことぶき 花の道 喜寿も米寿も 白寿も無事に 超えてみせるの こころ意気 まだまだ じんせい これからだ これから音頭で 健やかに スコヤカに
1841年 日本橋附近,生鮮屋 이 때의 사람들은 大體的으로 10代 初盤에 商店이나 工場에서 生活 하면서 일을 배웁니다. 5年 程度는 옷과 밥을 주지만 給料는 없습니다. 每日 오랜 時間에 雜일을 하면서 일의 基本을 배웁니다. 獨立하여 自身의 가게를 가질 수 있게 되는 사람은 아주 小數였고
江戸 토박이는 하룻밤 지낼 돈도 지나지 않는다 (江戸つ子は宵越しの金は持たない=그날 번 돈은 그날 다 써버린다는 뜻)고 하는데 事實 많은 商工業者는 돈을 벌 수 없었다고 하며 싸고 좁은 집에 살고 이따금 돈이 생기면 歌舞伎(かぶき)나 漫談(寄席=よせ) 等을 보거나 居酒屋(いざかや) 遊廓(ゆうかく) 賭博(賭け事) 等 여러 놀이에 써버리는 境遇가 많았습니다.
단 모두가 가난했기 때문에 相扶相助(助け合い)意識이 强하고 人情이 두터웠던 것이 江戸의 商工業者들의 特徵이었다고 합니다.
作成者 黃圭源 | |