十九の春-沖縄俗謡 補作詞 本竹裕助
一 女)私があなたにほれたのは ちょうど十九の春でした いまさら離縁と云うならば もとの十九にしておくれ
二 男)もとの十九にするならば 庭の枯木を見てごらん 枯木に花が咲いたなら 十九にするのもやすけれど
三 女)みすて心があるならば 早くお知らせ下さいね 年も若くあるうちに 思い残すな明日の花
四 男)一銭二銭の葉書さえ 千里万里と旅をする 同じ那覇市に住みながら 逢えぬ我が身のせつなさよ
五 女)主(ぬし)さん主さんと呼んだとて 主さんにゃ立派な方がある いくら主さんと呼んだとて 一生添えない片想い
六 男女)奥山住まいのウグイスは 梅の小枝で昼寝して 春が来るような夢をみて ホケキョホケキョと鳴いていた
歌の背景 이 노래는 沖縄의 옛날 俗謡입니다. 歌詞가 七五調의 ヤマトグチ(本土의 말)ウチナーグチ(沖縄사투리)가 아닌 것으로 멜로디가 沖縄 音階와는 다른 것으로 本土의 流行歌가 가져온 것이라고 말해지고 있습니다.
沖縄 音階는 레와 라(la)가 없는 것이 特徴입니다. 沖縄에 들어온 年代는 모르겠습니다만 멜로디의 느낌으로부터 本土에서 添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう) 等의 壮士 演歌가 流行하고 있었던 大正年間이라고 推測이 됩니다.
大正時代에 那覇의 遊郭에 봐이오린를 튕기면서 本土의 流行歌를 잘 부르는遊女가 있었다고 합니다. 本土에서 온 누구인가가 그女에게 元歌를 가르쳐 거기에서 沖縄 各地에 퍼져 나갔다고 합니다.
“与論小唄”“吉原小唄”‘ジュリグヮー小唄”等 沖縄의 各 地域에 수많은 봐리안토 가 있습니다.
이 件에 對하여 詳細한 論考는 “琉歌(りゅうか) 幻視行 島うたの世界”(竹中労著)에 있습니다 田端義夫가 노래한 歌詞에서는 4番의 那覇市가 コザ市로 되어 있습니다.
与論小唄(作詞 秋山紅葉) 一 枯葉みたいな我がさだめ 何の楽しみ無いものを 好きなあなたがあればこそ いやなこの世も好きとなる
二 あなたあなたと焦がれても あなたにや立派な人がいる 今更私が焦がれても 磯の浜辺で泣くばかり
三 一年待て待て 二年待て 三年待つのはよいけれど 庭の草木を見てごらん 時節変われば色変わる
四 磯の浜辺の波静か 二人手に手を取りかわす 死んだらあなたの妻ですと 女心の悲しさよ
作成者 黃圭源 | |