詩, 漢詩函

論語とは

bsk5865 2012. 2. 26. 21:28

보낸사람 : 소담엔카 운영자 12.02.26 18:40

 

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論語とは

 

 

  世界の古典のなかで論語ほど親しみやすい本はない。

内容は"世の中はどうあるべきか”ということに尽きるが、

 それが味わい深い言葉で簡潔にかたられているからである。

 

論語は孔子の"言行録’であり"語録”である。

それは孔子の弟子たちによって編集された。

 

孔子が死ぬと弟子たちは三年の喪に服したが、それが済むと

それぞれ故郷に帰って行った。

しかしやがて彼らの間に孔子の言葉を書きとめたいという希望が起こった。

 

彼らはそれぞれに自分の記憶している孔子の言葉を

持ち寄って、孔子の言葉の"定本"作りをした。

こうして生まれたのがいまのろんごである。

 

論語は全部で<二十篇>からできている。

その篇は次の通りである。

 

学而第一、為政第二、八一侑第三、里仁第四、公冶長第五、雍也第六、

述而第七、泰伯第八、子罕第九、郷党第十、先進第十一、

顔淵大十二、子路第十三、憲問第十四、衛霊公第十五、

季氏第十六、陽貨大十七、微子代十八、子張代十九、

尭曰第二十、

 

”学而第一” というのは学而第一篇”の意味である。

"学而”という篇名はこの篇の第一章に、

”子曰、学而時習之..."(子曰く、学びて時に之を習う)

(而は虚字でよまない)とあるところから書き出しの”学而”の

二文字を機械的にとり出してつけたものである。

 

"為政第二"以下の篇名もこうしてつけられており、決してその篇の主題を示しているわけではない。

 

 

論語は孔子の語録であるから、どの章も、

子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり、と(里仁篇)

子曰く、徳は弧ならず、必ず隣あり、と(里仁篇)

というように、たいてい"子曰く”いうことばで始まる。

この”子曰く”というのは"夫子曰く”の略である。

 

"夫子”というのは"先生”という意味で ”孔夫子”と

言えば孔先生”という敬称になる。

 

ぞこで"子曰く”は"先生が言われたことには” "先生は言われた’

という訳になる。

 

英語では”The Master said"(masuterは大文字で始まる)と

なっている。ついでに記しておくと、

中国には敬語はないが、日本にはそれがあるので、

むかしは”子曰く”を”孔子様はこうおおせられた”という意味で

"子のたまわく”とよんだ。

 

”のたまわく" は ”のたまう”から来ており"言う”のきわめて丁寧な表現である。

 

ところで孔子の言葉は上の例のように単独で並べられている

場合のほかに、相手との"対話"の形で語られている場合も少なくない。例えば次のようなものがそれである。

 

季康氏、政を孔子に問う。

孔子答えて曰く、政は正なり。

子帥(ひき)いるに正を以ってすれば、

たれか敢えて正しからざらん、と(顔淵篇)

 

対話の相手は同時代の為政者である場合もあるが、多くの場合は、顔淵や子貢のような身近な弟子たちである。

 

こうした弟子たちとの対話は孔子の人柄や

弟子たちとの心のふれあいを生き生きと伝えていて論語の魅力の一つともなっている。

 

このほかに弟子たちの言葉が単独で記されている場合もある。

次のような例がそれである。

 

曾子曰く、士は以って弘毅ならざるべからず。

任重くして道遠し。仁以って己が任となす。また重からずや。

死してのち已む、また遠からずや、と(泰伯篇)

 

論語の中には以上のほか、同時代の賢人のことばや行いがいくつか伝えられている。話題は今日風に分類して行けば、"政治論”

”道徳論”"人生論”教育論”人物論”など、きわめて多岐にわたり読者を退屈させることがない。

 

一つ一つの文章は上にあげた諸例でもわかるように

短いものであり、ストーリー性のあるような

長いものはきわめてまれである。

 

文章の数は五百章、総字数は一万一千七百余字であり、本としてもそれほど大きいものではない。

 

以上

 

青春日記